第8回
藤木講師(中学受験鉄人会スーパープロ家庭教師)
最近、いじめを苦にした自殺事件や、全国の中学高校における、必修科目の未履修問題など、学校制度や教育行政のあり方が問われるような事件が身の回りで続発し、社会問題化しています。そこで今回は、近・現代の学校教育の歴史をふり返ってみようと思います。 ( )にあてはまる語句を考えながら読んでみて下さい。
江戸時代の代表的な教育施設といえば、各藩がエリート藩士養成のために設けた( 1 )と、庶民に( 2 )を習得させることを目的に生まれた( 3 )がありました。幕府も( 4 )や開成所といった教育機関を持っていました。江戸幕府が倒れ、明治新政府が近代的な国づくりを進めていくようになると、それまで各地で私塾的に広がっていた( 3 )を明治政府が統一的に管理できるシステムづくりが必要になりました。これも1871年の( 5 )と同様、国の行政・税制・教育・軍制を政府が一元的にコントロールしようとする( 6 )体制の現れと言うことができるでしょう。そこで、政府は1872年に( 7 )を発布して「国民皆学」を唱え、義務教育制度確立へ向けて動き出しました。この時政府は「学問は国のためというよりは、民衆自身のため」という理由で学費は国民が負担することにしました。その費用は当時の平均的な所得の30%近くで、その負担はとうてい一般民衆が背負いきれるものではありません。そのため、子どもの就学率は低く、政府が就学を強制しようとすればするほど、民衆側の不満も高まり、( 8 )反対や( 9 )反対を理由に発生した民衆蜂起(竹槍一揆など)では( 7 )反対も叫ばれたほどです。
そのような国民の事情にも関らず、政府は義務教育をさらに押し進め、1881年には「教育令」に「尊王愛国」の精神の重要性が盛り込まれるようになったのです。( 7 )発布当初の「いろいろな技能を身につけて自分自身をレベルアップしろ」という論調から「お国のために役立つ人間になれ」という国策が前面に押し出されるようになったのです。そして、これが1890年に出された( 10 )に示されるようになります。政府は( 10 )を全国の学校に配布し、( 10 )への礼拝と奉読(皆で声をそろえて読むこと)を強制 していきました。このころ、福沢諭吉の著した「 11 」が「有害図書」とされ、教科書から削除されるというようなこともありました。国民の考えが「自由」とか「自分」へと向かうのを恐れたためでしょうか。
しかし、これは受験勉強でもそうですが、上から強制された、興味も自主性もない勉強が身につくはずはありません。大正時代になって、子どもの就学率は98%にまで達したのに、その学力の低さに関係者は驚きました。そして当時の( 12 )の風潮も影響して、学校教育を単なる知識のつめこみから、子どもたちの思考や感情を引き出していく創造性のあるものにしなければならないと考えるようになりました。( 13 )らが編集した「赤い鳥」という童話集も、この自由教育の時代に生まれたものです。
しかし、時代が変わり、不景気と軍国主義が日本をおおうようになると、自由教育の芽も次々と摘み取られていきました。( 10 )が以前にも増して強力に押し進められ、学校教育は「忠君愛国」の掛け声とともに軍国主義化し、政府・軍部による統制も厳しくなっていきました。1941年の( 14 )攻撃で( 15 )が始まると、学校の授業も軍隊風になってきました。実際、授業科目として敵襲からの身の守り方や、武器について知識、時には夜間軍事行動の実地演習までもが子どもたちに教えられるようになっていきました。授業風景も殺伐たるものになりました。教師は「先生」というよりは「軍事教官」になり、生徒たちへの怒鳴り声や体罰は日常茶飯のものとなっていきます。時には本当の軍人が学校の教壇に立つこともありました。
そして、1945年に敗戦を迎え、アメリカを中心とする民主化政策が始められると、教育内容も一変します。まず、日本を軍国化し、戦争へと導いた要因の一つである( 10 )を廃止して、新たに( 16 )法を制定しました。軍事教育を進めた多くの教職員が公職を追放させられました。戦争によって物資が不足した当時、新しい教科書を作ることができなかったので、今までの教科書を、軍事主義的な部分を墨で黒くぬりつぶして使っていた所もありました。空襲によって校舎が焼けたり、建物は残っていても地域の連絡所などに使われたりして、子どもたちは屋外で授業を受けなくてはならないということも珍しくありませんでした。(鴎友学園がこれを出題したことがあります。) ( 17 )に公布され( 18 )から施行された日本国憲法の中で、6・3制による9年間の義務教育が決められ、学費も国による補助が保障されるようになりました。言うまでもないことですが、義務教育の「義務」とは、社会や大人に課せられた、子どもに教育を受けさせる義務のことです。
やがて、日本は今までの産業構造を転換させ、工業と貿易を中心とした時代へと入っていきます。( 19 )期です。この時期は企業と官庁が中心になって、それを政治家がまとめていくという形で進んでいきました。当然、学校教育もこれらの場で活やくできる人間の育成を目指すことになります。このことは21世紀になった現在でも変わっていないのですが、ただ、そのスタイルがやや異なっています。( 19 )期は、日本経済の発展が最優先された時代で、生産性と効率性をアップして、ガムシャラに突き進むことが求められていました。従って教育も知識をつめこむ式のものが多く、入試においてもテキストの内容をより多く暗記した者が高得点を取れるという傾向が強かったのです。 ところが、経済的に豊かになった現在、そして、これまでの社会のあり方が、環境問題や地域社会の解体というものへと至ってしまったことに人々が気付き始めた現在、教育に求められるものも変わってきました。 単なる知識の量ではなく、物事をじっくり考えられる力、人の気持ちや物事の因果関係などを想像できる力が要求されるようになったのです。(かと言って知識不要などということは決してありません。それで終わりにしてはいけないということです。どんな創造力にも知識の基礎は必要です。)このことが、入試問題の最近の傾向にも現れてきました。記述式問題を国語や社会科で出す学校が増えてきたのです。
今月(2006年11月)に、戦後教育を支えてきた( 16 )法の改正案が衆議院で可決されました。そのおもな内容は次のとおりです。
- 「伝統と文化を尊重し、それらを育んできた( 20 )とともに、国際社会の( 21 )に寄与する態度を養う」
- 教育は( 22 )の定めるところに従って行われる。
- 教育の第一義的責任は、父母がこれを負う。
解答
- 1)藩校
- 2)読み・書き・そろばん
- 3)寺子屋
- 4)昌平坂学問所
- 5)廃藩置県
- 6)中央集権
- 7)学制
- 8)地租改正
- 9)徴兵令
- 10)教育勅語
- 11)学問のすすめ
- 12)大正デモクラシー
- 13)鈴木三重吉
- 14)真珠湾
- 15)太平洋戦争
- 16)教育基本
- 17)1946年11月3日
- 18)1947年5月3日
- 19)高度経済成長期
- 20)わが国と郷土を愛する
- 21)平和と発展
- 22)法律