第12回 手がかりの見つけ方…同じ言葉・よく似た表現
第一段落
花屋をのぞいたら、夕顔の苗があったので、思いきって二本買った。店の人が「あかね色のがあるけど、二本とも白でいいんですか」と聞いた。もちろんですとも。私にとって、夕顔は白でなくてはならない。
第二段落
小学校一年生まで、神戸に住んでいた。毎年夏になると、母は夕顔の鉢を育てて白い大きな花を咲かせた。昼間は日のあたる庭に出しておいて、夕方になって A と、鉢を玄関の下駄箱の上に移すのであった。帰宅する父を迎えるためである。白といっても純白ではなく、花のしんは淡い黄をおびて、花弁はかすかに薄墨をはいたような夕顔の花。夕やみの中に白くうかぶ大輪の夕顔の花は、[ B ]なまでに美しかった。
第三段落
私の下には二歳半ずつはなれて、妹が二人いた。電気洗濯機も掃除機も炊飯器もない時代である。ふろはまきか石炭でたいていたはずである。若い母にどうしてそんな余裕があったのか。感心するとともに、私の思い出の中で、夕顔の花は、ますます美しくなっていくのであった。
第四段落
最近になって母に聞いてみた。母は「ええっ?」と、すぐには思い出せないようであった。ややあって、「そんなこともあったわ。一夏か、二夏のことよ」と言った。私の方が驚いた。私にとって、神戸の夏の夕方には、いつも、大輪の夕顔が咲いていたのに。
第五段落
私も三人の子の母である。完璧な母親にはほど遠いが、一つでも、二つでも心をこめてしたことは、子どもの心に美しい思い出となって残るものだろうか。そうであってほしい。この夏は母をまねて、夕顔の花を咲かせたい。
[問一]
第一段落の下線部「夕顔は白でなくてはならない」とありますが、その理由を次の中から選び、記号で答えなさい。
ア 夕顔の花は白いのが一番美しいと思うから。
イ 思い出の中の夕顔の花が白い花だから。
ウ 神戸には、たくさんの白い夕顔の花が咲いていたから。
[解説]
「手がかり」の探し方についていろいろ解説してきましたが、さらに大切なことをいくつか学びましょう。
「白でなくてはならない」理由を問う設問です。まず問題文の中に「手がかり」を探るわけですが、非常に重要な原則があります。
問題文の中から「白」という言葉を探し出す。
問題文の中で、「白でなくてはならない」理由を述べた部分には、当然「白」という言葉が使われているはずです。あたりまえのことですが、これが重要な突破口になる場合が多いのです。
つまり下線部では「白」という言葉がキーワードになっています。そのキーワードと同じ言葉・よく似た表現を問題文の中に探し出すのです。
原則 キーワードと“同じ言葉・よく似た表現”を問題文の中に探し出す。
このような探し方はあたりまえすぎて馬鹿にする人もいるかもしれません。しかし、この方法を徹底的に訓練しなければ、例えば早稲田大学の入試現代文で合格点をとることは困難でしょう。
いきなり大学入試の話がでてきましたが、中学受験を志す人は、すべて大学進学を念頭においているはずです。そうであれば、中学への受験勉強が、そのまま大学入試の準備につながっていくのが理想です。
「手がかり」を押さえずに、直感的な解き方で高得点をマークできる生徒もいますが、それは集中力の優れた一部の生徒に限られます。そのような生徒でも、自分の関心とかけ離れたテーマが出題された場合には、問題文の中にのめり込むことができず、不本意な結果に終わることが多いようです。成績に波があるという場合、このような事情による可能性があります。
優れた出題者になると、受験生の「直感」を誤った選択肢に誘導していくのはお手の物ですから、自慢の直感が災いして、いわゆる「落とし穴」にはまり込んでしまいます。
特に大学入試の問題文は、高校の授業ではまず取り上げられることのない難解なものも多いので、読み進むうちに頭がボーっとしてきます。そして“山勘”が“鈍感”に変じてしまい、正解の選択肢に対して、釣りで言う「当たり」を全く感じなくなってしまいます。正しい答を正しいと感じることができないわけですから、当然のことながら選んだ答は全く的外れなものになります。
手がかりを押さえずに直感で問題を解いた場合、答が合っているかどうか不安になるかといえば、案外そうではないようです。逆に自分の選んだ答に妙な自信を持ったりするものです。ですから、手早く答を選んで時間が余っても、なぜか本気になって見直すことをしません。そんな生徒が答案用紙を裏返して、なにもせずに試験が終了するのを漫然と待っている姿がよく見受けられます。そしてそういう場合にかぎって結果はよくないようです。生徒本人は、よくできたつもりでいるようですが、たいていの場合、返却された答案を見て青くなります。
では今回の原則に従って正解を導き出して見ましょう。
下線部の「白」という言葉は、第一・第二段落に出ています。
第一段落
・店の人が「あかね色のがあるけど、二本とも白でいいんですか」と聞いた。もちろんですとも。
第二段落
・毎年夏になると、母は夕顔の鉢を育てて白い大きな花を咲かせた。
・白といっても純白ではなく、花のしんは淡い黄をおびて、花弁はかすかに薄墨をはいたような夕顔の花。
・夕やみの中に白くうかぶ大輪の夕顔の花は、、[ B ]なまでに美しかった。
第一段落は夕顔を買い求めた場面でこの話全体の導入部、第二段落は夕顔にまつわる筆者の幼い頃の思い出を述べた部分です。
以上をふまえて、(1)消去法 (2)残った選択肢の検討 の順序で解いてみましょう。
(1) 消去法
ウの「神戸には、たくさんの白い夕顔の花が咲いていたから。」は、本文の中に根拠がありません。“筆者の母が白い夕顔の花を咲かせた”とはありますが、“神戸という土地に白い夕顔の花がたくさん咲いていた”という内容は、問題文のどこにも見出せません。
ウは削除します。
(2)残った選択肢の検討
理由を問う設問ですから、すでに何度も試みたように、ア・イと下線部を、原因と結果の関係に当てはめてみます。
- ア -
(原因)「夕顔の花は白いのが一番美しいと思うから」→(結果)「白でなくてはならない」
- イ -
(原因)「思い出の中の夕顔の花が白い花だから」→(結果)「白でなくてはならない」
さて、アとイを比べてみましょう。どちらもつながりとしては正しいように思えますが、この部分だけを読むと、おそらくアの方が印象的だと感じる人が多いのではないでしょうか。
なぜでしょう。
・アの(原因)「一番美しいと思う」は「意見」です。そして(結果)の「白でなくてはならない」も「意見」です。
したがって「意見」→「意見」のつながりになります。
・イの(原因)「思い出の中の夕顔の花が白い花だから」は「事実」です。そして(結果)の「白でなくてはならない」は「意見」です。
したがって、「事実」→「意見」のつながりになります。
ここで次の二つの例を比べてみましょう。説得力があるのはどちらでしょうか。
例1 「A君はすてきだと思います。」→「わたしはA君が好きです。」
例2 「A君はすてきな男の子です。」→「わたしはA君が好きです。」
例1の方を印象的で説得力があると感じる人が多いのではないでしょうか。一般に「意見」→「意見」の方が緊密につながっていると感じる場合が多いのです。例2では、「わたし」もA君をすてきだと思っているのかもしれませんが、どちらかというと「一般にすてきだという定評がある(事実)」という意味合いを感じます。
以上の理由により、まずアに正解の可能性を感じた上で、第一段落の「店の人が『あかね色のがあるけど、二本とも白でいいんですか』と聞いた。もちろんですとも。……」の部分を重ね合わせてみると、そこには“あかね色など問題ではない。断然白だ!”というような筆者の強い好みが感じられて、ますますアに確信を持ったりしてしまうかもしれません。
しかし、第一段落と第二段落を続けて読んでみると、次のことに気づきます。
・第一段落は“現在”のことです。
・第二段落は小学生時代のことですから、当然“過去”のことになります。
原因と結果を時間の順序に並べてみると、「前の晩にアイスクリームを食べ過ぎて(原因)今日は試験中におなかが痛くなった(結果)」のように、原因が前で、結果は後になります。
そう考えてみると、神戸での小学生時代に、白い夕顔に感動したことが原因で、「私にとって、夕顔は白でなくてはならない。」という結果になったのだと考えられます。
したがって、正解として最もふさわしいのは、イ「思い出の中の夕顔の花が白い花だから。」になります。
選択肢と下線部が「原因」と「結果」の関係にうまくあてはまった場合でも、ただちにこれが正解だと決めつけるのはたいへん危険です。優秀な(意地悪な?)出題者はそこを狙って罠を仕掛けてきます。
[正解]
イ
[問二]
A の中に入る適当な言葉を次の中から選び、記号で答えなさい。
ア 花が咲く
イ 花がしぼむ
ウ 花が散る
“夕顔は夕方咲くもの”という知識があればなんでもないことですが、これは理科の問題ではありません。筆者が事実とは異なることを述べている場合もあるかもしれません。ですから、あくまでも本文の中に「手がかり」を求めます。
同じ段落に、「夕やみの中に白くうかぶ大輪の夕顔の花は、…」とありますので、アが正解となります。
[正解]
ア
問三
B の中に入る適当な言葉を次の中から選び、記号で答えなさい。
ア 絵画的
イ 神秘的
ウ 理想的
エ 驚異的
「… B なまでに美しかった。」とありますので、“どのように美しかったのか”が問われているわけです。
これは筆者の「感じ方」です。受験生にとって筆者は他人ですが、その他人の感じ方を正しく理解できるものかどうか、少々不安に思うかもしれません。
しかし国語の出題である以上、正解の根拠は誰にでも納得できるはっきりしたものでなければなりません。そうでない場合は不適切な出題ということになります。本問の場合はどうでしょうか。
その夕顔の姿は直前に述べられています。
「白といっても純白ではなく、花のしんは淡い黄をおびて、花弁はかすかに薄墨をはいたような夕顔の花。夕やみの中に白くうかぶ大輪の夕顔の花は、 B なまでに美しかった。」
この部分をよく読んで正解を求める場合、アからエをそれぞれあてはめてみても、決定的に誤りだという選択肢は見出せないようです。
ア「絵画的なまでに美しかった。」は、上記の部分をよく読めば、視覚にうったえる表現であり、不自然ではありません。
イ「神秘的なまでに美しかった。」は、「夕やみの中に白くうかぶ…」という不思議な感じに合致します。
ウ「理想的なまでに美しかった。」は、ようするに“非常に美しかった”という意味ですから誤りとは言えません。
エ「驚異的なまでに美しかった。」は、ウと同様の意味で誤りとは言えません。
強いて言えば、エの「驚異的」が、大げさな表現でやや不自然かもしれません。また、アの「絵画的」やエの「理想的」も、説明としてはわかりやすいのですが、筆者の感動を伝える表現としては、やや不満に思えます。
そうすると、残ったイの「神秘的」が正解ということになるわけですが、その理由をうまく説明できるでしょうか。
ここで B 直前の、「夕やみの中に白くうかぶ大輪の夕顔の花は」に注目します。これは、「美しかった」の主語に当たります。
これをキーワードと考えて、同じ言葉・よく似た表現を探してみましょう。
すると、第四段落に「私にとって、神戸の夏の夕方には、いつも、大輪の夕顔が咲いていたのに。」とあるのに気づきます。
この第四段落を読んでみると、筆者は「毎年夏になると、母は夕顔の鉢を育てて白い大きな花を咲かせた。(第二段落)」と思っていたのが、母に聞いてみると、実は「一夏か、二夏のこと」だったことがわかり驚いています。
なぜこうなったのかを考えてみると、正解にたどり着けるかもしれません。要するに、幼い筆者にとって、神戸で見た夕顔の花は、“毎年母が咲かせた”と錯覚するほど印象深いものだったわけです。その意味で、夕顔の花は筆者の心の中で、幻想のレベルにまで大きく育っていったわけです。「…私の思い出の中で、夕顔の花は、ますます美しくなっていくのであった。(第三段落)」
この「幻想」という意味合いに最もよくあてはまるのは、やはりイの「神秘的」です。神秘的であるが故に、現実を超えた存在にまで高められたと考えることができます。
もう一度確認しておきましょう。
原則 キーワードと同じ言葉・よく似た表現を問題文の中に探し出す。
[正解]
イ